【綾羅木】
(1)竹生観音の霊木がこの海に流れ着いたとき、
人々が「あやら」という嘆美の言葉を発した
のに由来するという説。
(2)神話に出てくる阿波岐原に基づく説。
「あわぎ」が訛ったものだという。
(3)神功皇后の遠征渡海に際し
この浦で「あやら」と勝鬨をあげたことに
由来するという説。
この付近は古くから開け、当然朝鮮との交流も
あったことが考えられ、渡来者も多かったはずで
その中の秦(ハタ)氏の部族である漢部(アヤベ)
があり、この地に居住して養蚕や織物などの仕事
にあたったものではないか。
アヤラギはあるいは綾原(アヤハラ)がアヤラ
になり、これに綾楽の文字を当ててアヤラキと
なったものか。「楽(ラ)」をラキ・ラクと
いうようになる例は多い。としている。
『山口県地名考』(高橋文雄)
建武二年(1335年)南北朝時代
4月8日の「武久家文書」に、
薭田次郎兵衛尉経清が
「長門国成富名并綾羅木屋敷」を知行していたと
記されているのが文献資料による
綾羅木の名の最初の記録である。
天正十六年(1588年)
『忌宮神社文書』閏5月13日付の
二宮神領付立に「綾良木」の名が見える。
また「阿井羅木」と記されたこともある。
(『寺社由来』文禄二年勝応寺文書)
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沿革 長門国・豊浦郡